大判例

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仙台高等裁判所 昭和44年(う)296号 判決

本籍

宮城県石巻市明神町一丁目一番地の三

住居

同市同町一丁目二番六一号

会社役員

相原健三

大正九年一一月一五日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、昭和四四年七月二三日仙台地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所はつぎのとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人日野市朗名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一点(事実誤認)について

所論は、原認定の各年度所得金額および法人税額は、公表の所得金額を含めて計算したものとし、被告人には公表所得について、その各年度法人税逋脱の故意を欠き、また、公表所得金額が特定されていないため逋脱税額も特定されず、結局本件各逋脱罪は成立しないのに原判決はこれらの点について審理を尽さず、事実を誤認したものであつて破棄を免れない旨主張する。

しかし、記録によれば、本件は起訴自体において公表所得金額(昭和四一年度益金四、四二一、五九八円、昭和四二年度損金七、四五五、八八一円、記録七五八丁・七六九丁)を控除した各年度所得金額および法人税額を各逋脱罪の対象としていることが明らかであり、原判決はその掲げる各証拠により適法に公訴事実と同一の各年度所得金額および法人税額を認定していることが認められるのであるから、所論はすべてその前提を欠き採用できず、原判決に所論のような事実の誤認があることは認められない。論旨は理由がない。

同第二点(量刑不当)について

原認定の本件各逋脱額、その態様からすれば被告人の刑責は軽視できず、所論のように被告人が多くの企業体の中心人物であり、その存在がこれら企業体の経営に重大な影響を及ぼすことを考慮し、記録にあらわれた本件各税額は加算税を含めて、すでにすべて完納されていることなど諸般の事情を斟酌しても、原審が被告人を懲役六月に処し、二年間その刑の執行を猶予したことは相当であつて、その量刑が重きに失し不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

検察官 国分則夫 出席

(裁判長裁判官 畠沢喜一 裁判官 阿部市郎右 裁判官 大関隆夫)

控訴趣意書

被告人 相原健三

昭和四四年一一月 日

弁護人 日野市朗

仙台高等裁判所 御中

第一、事実誤認

一、原判決は、理由(罪となるべき事実)において次のように事実を認定する。

(一) 昭和四〇年七月一日から同四一年六月三〇日までの事業年度において被告人会社の実際所得金額が二、四七三万九四七一円でこれに対する法人税額が八七一万一、〇〇〇円であつた………。

(二) 昭和四一年七月一日から同四二年六月三〇日までの事業年度において被告人会社の実際所得金額が一、四三八万九九七四円で、これに対する法人税額が四八二万六、一〇〇円であつた………。

二、法人税法第一五九条の罪の犯罪事実を認定するにあたつては、逋脱の犯意や逋脱行為にとどまらず、その行為により覆行を免れた法人税額をも認定することを要するものと解すべきであり(最高裁刑集一七巻一二号二四六〇頁参照)履行を免れた法人税額の認定の誤りは、判決に影響を及ぼす事実の誤認である。

三、ところで、いわゆる法人税の逋脱罪にあたつては、その故意の内容として、被告人の認識すべきところは、(1)法人税の納税義務、(2)いつわりその他の不正行為により当該税を免れるという逋脱行為、(3)脱税の結果及び(4)一定の身分である(河村澄夫、司法研究報告書、税法違反事件の研究四四頁)。

しかも脱税の結果とは、脱税額を更に故意の存意に応じて限定したものなのである(同報告書二四七頁)。

したがつて、本件において逋脱罪が成立する範囲での脱税の結果については、被告人の認識を要する。

四、(一) 原判決が認定する実際所得金額は罪となるべき事実第一については二四七三万九、四七一円であり、第二については一、四三八万九、九七四円であつて、いずれも当該決算期における全所得である。

そこで、原判決認定の実際所得額の全部について被告人は法人税確定申告書を提出しないとの認識をもつていたかどうかについて検討する。

(二)1 本件全記録によれば、有限会社みのり化成においては、原判決理由罪となるべき事実に記載されているような手段方法により公表帳簿に訂正しない利益の除外や仕入の架空訂正があつたことが認められるが、原判決も示唆するように、公表帳簿の存在していたことも同時に認められるところである。そして、公表帳簿は志摩秀弥によつて作成されていた(一九八丁以下)。

そして同人の供述を録取した質問てん末書(以下てん末書)によれば公表帳簿による決算利益は、昭和四〇年六月三〇日迄の事業年度において約三一万円、昭和四〇年七月一日以降昭和四一年六月三〇日迄の事業年度において約一五〇万円、昭和四一年七月一日以降昭和四二年六月三〇日迄の事業年度において約一〇〇万円であつた(二一一丁)。これらの事業年度の公表利益は、志摩から被告人に報告がなされているのであり、被告人はこれら公表利益の額については知つているのである(二二三丁)。

2 しかも、被告人は志摩に対して、公表上の決算利益にもとずいた法人税の申告を志摩に命じている。

このことは、志摩のてん末書によれば「二四問。申告しなかつたことについて、相原さんから何かいわれておりますか。答。社長からは、利益が約一〇〇万円だと報告したとき、その利益で申告するようにいわれましたが、その後申告したかときかれたときに忙しいから未だ申告していないと答えてのばしてきておりました。」(二二四丁)との記載がある。

一方被告人のこの点に関する供述は、被告人の昭和四三年八月二四日付てん末書によれば「答。見ておりません。私は何時の場合でも公表利益が幾らぐらいになつたかその金額だけを志摩から口頭で報告を受けますが、決算書や申告書は見たことはありませんでした。また見せろと指示したこともありません。

四問。不正計算を指示していながら申告書や決算書を見ないのはなぜですか。

答。みのり化成の代表者は加納さん(加納芳雄)になつているため、私は申告書の自署押印の必要がなかつたし、志摩から「利益が三一四千円になるがどうしますか」と聞かれ「それで税務署に申告しろ」と指示しただけです。

五問。四一年六月期、および四二年六月期は無申告ですが、なぜ申告しなかつたのですか。

答。四一年六月期が無申告であつたことは実は去年の十月頃まで知りませんでした。

四二年六月期は、七月頃に志摩から二〇〇万円ぐらいの黒字だと言われ、そのとおり申告するよう指示しました。ところが志摩はなかなか申告書を出さないのです。私は八月末までに二、三回は志摩に申告は出したか、と聞いたと思います。

九月になつてから「出したか」と聞いたら「申告していない」というのでその後何回も私は出すように言つているのです。そのうち志摩が入院してしまい、仕方なく後藤(後藤庄三郎)に改めて整理を命じましたが、決算の基礎となる伝票がない、帳簿がないということになり、志摩を追求したところ「焼いてしまつた」という話になつたのです。

そこで仕方なく取引先に照会したりして資料を集めさせ、後藤に決算書を作成させているうち税務署の調査が始まり、とうとう申告しないでしまいました。

六問。あなたは、四一年六月期の無申告は、去年の十月頃まで知らなかつたと述べていますが、それまで申告書を出したか出さないかも確かめなかつたのですか。

答。四一年の九月頃と思いますが、志摩に「申告したか」と聞いたら「申告しました」と言われました。

ですから私は申告したものとばかり思つていたのです。

七問。志摩秀弥はあなたに事実と異なる報告をしたというのですか。

答。はい。

八問。志摩秀弥はあなたに「申告」したと嘘の申立を行つたのですか。

答。……そのように私は聞いたと思います。」(一二五一丁ないし一二五四丁)と記載されている。

また昭和四四年二月四日付てん末書によれば「一問。有限会社みのり化成は昭和四一年六月期および昭和四二年六月期は無申告ですがあなたは監査役としてだけでなく実質的な統括者の立場にあるのになぜ申告書を提出させなかつたのですか。

答。化成の売上除外や架空仕入をするに当つて志摩秀弥に指示しましたし相手先との交渉には私が直接当るなど裏取引に関しては私が千葉、平田の両人から任せられて私の責任で実行し、実行させました。

しかしこのような裏以外の通常の取引については志摩から公表決算による所得が幾らとなつたか口頭で報告を受けそれで申告するよう指示もしていたのですから税務署には申告書を提出していたとばかり私は思つておりました。

責任をのがれるつもりではありませんが四一年六月期の申告書が期限内に提出されていなかつたこと、またその後も提出されないでしまつたということは昭和四二年十月頃に税務署の調査があつて始めて知つたのです。

形式的なことですが私が代表取締役であれば申告書の自署押印の関係で申告書も見ることになりますが、監査役のため申告書を見ることもなく申告書についてはあまり関心を持ちませんでした。志摩が私に報告した公表利益でもつて申告していると思つていたのです。

二問。昭和四一年六月期の公表利益は幾らでしたか。

答。前にも申し上げましたが(昭和四三年八月二四日付質問てん末書二問のこと)約一五〇万円前後と記憶しています。

申告期限の八月頃に志摩を呼び「幾らぐらいの利益となつたか」と聞いたら口頭でそのように報告を受けました。

三問。志摩秀弥から報告を受けてあなたは利益のこと又は申告書のことについて何か指示を与えましたか。

答。「その額(約一五〇万円前後)で税務署に申告書を出すように」と指示しました。

四問。あなたは志摩秀弥から口頭で報告を受けた金額はみのり化成の正しい利益だと思つていましたか。

答。志摩から報告のあつた利益は裏取引を含まない公表取引による利益ですから正しい利益ではありません。

五問。税務署には志摩秀弥から報告を受けた額で申告するよう指示したのですか。

答。はい、そのように指示しました。

ですから私は志摩が指示通り申告書を提出したと思つていました。

結果的には志摩は申告しなかつたのですが。

六問。あなたは法人税の納付の有無で申告書が提出されなかつたことについて当然わかる立場にいたのではありませんか。

答。法人税のことまで私は気が付きませんでした。役員として当然の注意が足りませんでした。

七問。志摩秀弥が若しあなたの指示通り申告したとしてもそれは不正な申告になるということをあなたは知つていましたか。

答。それは裏取引をやつていたのですからそのことはわかつていました。

しかし裏取引による分は最初から脱税するつもりでしたが、公表決算による利益の分までも脱税する気持はありませんでした。

八問。昭和四二年六月期の申告がなされなかつたことについてはどうなんですか。

答。この時は四二年の七―八月頃に志摩から公表利益一〇〇万円位とかいつた報告をやはり口頭で受けそれで申告するよう指示しました。

申告期限の八月までに二―三回は「期限内」に申告書を出すように志摩を督促しました。

その後の経過は前に(昭和四三年八月二四日付質問てん末書のこと)申し上げたとおりであります。

昭和四一年六月期の場合と同様裏取引の分は脱税するつもりで最初から操作したことですが公表取引による利益の分については不正な申告ということは知つていましたが申告するつもりでおりました。」(一三五六ないし一三六一丁)との記載がある。

これらの諸証拠によれば、被告人としては、各決算期における法人税の申告を志摩に命じていることは、明らかであるといわなければならない。

すなわち、被告人としては少くとも公表帳簿上の利益額については脱税をするとの認識を欠きその部分については逋脱犯としての故意を欠いているといわねばならないのである。つまり、原判決認定の実際所得金額の全部については被告人の故意はないのであつて原判決の実際所得金額より公表帳簿上の所得額を控除した額が逋脱の税額確定の基礎となる所得金額となるのである。

3 これらの証拠と矛盾する直接的な証拠は、全記録を精査しても冒頭手続における「事実はいずれもそのとおりまちがいはありませんので別に述べることはありません」(一四丁)との供述以外に見当らない。

冒頭手続における被告人の自白は、本件においてはさして信用に価するものではない。

なぜならば、公訴事実の記載自体が故意の有無について被告人に理解できないような外面的な事実の記載であり、また原審においては、被告人、弁護人とも事実関係を顧慮することなく、情状の主張にのみ終始したことがうかがえるのであつて、弁護人からその点に関する適切な助言もなかつたであろうことが容易に推測できるからである。

4 結局公訴事実記載当該会計年度における法人税の確定申告はなされていない。このことは、2に述べた帰結を変えしめるものではない。

被告人に命じられた申告を怠つたのは、あくまで志摩が自らの判断で行つたものであり、志摩の述べている、自分も逋脱税の責の一半を負うのではないかとの恐れや、他の従業員との関係など(既に引用した記録の部分参照)は一応筋のとおつた弁解といえるのであり志摩のこれらの供述は、他にこれに反する証拠のない限り説得力をもつものである。

5 また被告人が申告の有無を厳密に検閲しなかつたことも、前述の結論を変えるものではない。

いやしくも上司であつて部下に申告を命じた以上は申告がなされているものと信ずるのが当然であり、かつ、申告書に被告人自からが印鑑を押捺する必要もない被告人の立場としては、更に入念な申告の有無の調査を要求されることは酷に失すると言えよう。

五、被告人は、公表帳簿による所得の存在は知つており、その部分につき法人税確定申告の意思をもつており、かつ申告を担当者に命じているのであり、この部分についても逋脱の故意のなかつたことは明らかであるといわねばならない。そうである以上本件の事実の認定については、原判決の事実中第一、第二ともに実際所得金額を認定するのは誤りであつて、隠匿した所得金額が事実中に摘示されなければならないものである。そしてその金額は原判決認定の金額から公表帳簿の所得を控除したものにならなければならないのである。

公表帳簿の所得およびそれに対する課税額を算定することは、当時の帳簿類や伝票等の計算関係資料の減失している現状では困難ではあるが不可能ではない。本件の捜査及び公訴の提起に当つた担当者は、公表外及び公表上のあらゆる所得について知り得る機会をもつていたし、現に記録中に散見されるところによれば、検察官は公表所得を充分に特定しうる筈なのである。

すなわち、逋脱罪における免脱税額は、実際所得額と、過少申告額との差額であつて、その差額は逋脱罪成立の要件として特定的に認定されなければならないのである。

この点に関し、前掲の最高裁判所判例について最高裁判所判例解説刑事篇昭和三八年度最高裁調査官室編は左のとおり述べる。「こうしてこの差額は前述のように複合的な算定の結果の数値であるから、その差額がプラスになるかマイナスになるか、プラスなら幾らであるかを犯罪成立の要件として特定的に認定する必要があるのである。ただ漠然と過少申告税額を超過するなんらかの(数値を示さない)免脱税額が発生していると言つたのみではこの数値の本質上不特定たるを免れないというべきである。もし具体的な数値が算定できないような事案であるならば、結局は差額が算定されないからプラスであるかマイナスであるかが不明に帰し逋脱罪の成立は否定されることになるのである。そこで差額が算定できてそれがプラス(有罪)かマイナス(無罪)かを認定するには、どうしても所得税額を特定しなければならないのである。(そうすれば有罪なら必然的に免脱税額も特定する)」(同書二〇九頁)。

本件についてこれをみれば、被告人は公表所得については法人税免脱の故意はないのであつて、しかも公表所得額が特定されない限り免脱税額も特定されないのであるから逋脱罪の構成要件である逋脱の結果を特定されないのであるから、原判決の段階においては、本件について逋脱罪は成立していない。

このような結論となる以上、以上述べた点を看過した原判決は審理不尽のそしりを免れず、その結果、事実を誤認したのであつて破棄されるべきである。

第二、量刑不当

一、被告人の経営者としての手腕力量が、秀でたものであることは、証人日野吉夫、同中村精一の証言から充分に伺いうるところである。

被告人は、主として被告人自身の活躍によつて一介のみのり油脂株式会社から所謂みのりグループと言われる企業集団を作りあげ、現にそれらの企業の中心人物としての役割を果している。

みのりグループにとつて被告人は極めて重要な人物でありそれらの企業の活動は、被告人の手腕に負うところが大きい。

これらの企業の活動の結果は、多数の従業員を企業内に包摂しその取引は各方面に多数の製品を供給し、又多量の原料を各方面から仕入ている。

企業は一旦、活動を開始すれば、その必然的な経済性から常に企業規模の拡張を続けるものであり、企業の実積は、必然的に他企業の実積に影響するのである。

みのりグループは、既に宮城県一円にとどまらず東北の各県の畜産に重要な影響力をもつているのであり、みのりグループの活動の停滞は、東北地方一円の畜産振興にとつて重大な障害をもたらすものと言える。

被告人の存在は、東北地方の畜産にとつても又重要なものと言わねばならない。

ところで、みのり飼料株式会社は関税法による保税工場の許可をうけている。

この保税工場は輸入原料の輸入税の20%を免除されるものであり、飼料製造業にとつて、この恩恵は極めて大きいものであつて、この恩典を失うことになれば、みのりグループの存立の基盤を危くするといつても過言ではない。

そして、関税法五六条、四三条、四二条によれば、被告人に懲罰刑が課せられることとなれば、被告人は、みのり飼料株式会社の保税工場の許可の取消か、若しくは被告人自体のみのり飼料株式会社からの代表取締役辞職の二つに一つを迫られることとなる

前述したように、みのりグループにとつて被告人は不可欠の存在であり、みのりグループの全従業員、更に関連取引先及び関連業績の振興発展にとつても、被告人の存在は重要なのであり、被告人に懲罰刑を課することは、全従業員及び関連する経済界に重大な影響をもたらすこととならざるをえないのである。

二、みのり化成における所得の主要部分は、フイシユソリユーブルに関する取引によりあげられたものである。そして、ソリユーブルは、従来は全くの廃物として取扱われており、その廃棄は直ちに公害となつて現れた。

漁港周辺での悪臭の主たる原因をなしていたのは、魚の加工過程で出るソリユーブルであつて、廃棄されることにより漁港周辺を強烈な悪臭で満たしていたのである。

被告人が、努力して開発した技術によりソリユーブルは廃棄されることなく、更に、再生産過程にのぼることとなり漁港都市を悪臭から解放しつつあるのであつて、この点での被告人の功績は極めて大なるものがある。

三、これらの諸情状を他の記録に明らかな諸情状に加味するならば原判決の量刑は重きに失するというべきものであつて、被告人に対しては、罰金刑を課するのが相当である。

被告人の所為は、まさに経済人としての経済活動の中の所為であり、経済人としての被告人に課するには、経済的処罰すなわち罰金刑をもつてするのが、最も適当と考えられるからである。

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